options as money
前日、以下のことを述べました。
『私は“マネー”のからくりについて政府の「通貨発行権」にインスピレーションを得ました。そして、銀行の歴史を調べ、銀行のカラクリを知ったのです。われわれも銀行と同じようなことができないだろうか・・・そのように考えたとき、オプションに関して別の側面、そして、金融について別の世界が見えてきたのです。それが「私は“オプション”を一般に知られる金融商品としての“オプション”として扱っていません。」ということの背景にあるものです。』
現在私はオプションを“トレード”の道具として実践していませんしまた多くの人に実践を指導しているオプションもまたそのような対象として扱っていません。この場合“トレード”とはキャピタルゲインを求めて売り買いを行う行為のことをいいます。私はオプションの原型を“デリバティブズ”の「スワップ取引」とみなしているのですが、それについてはいずれさらに深く言及する予定です。
私は今日的なマネーを“デリバティブズ”とみています。上述において“カラクリ”という言葉を用いましたが、その“カラクリ”は概念やしくみを意味します。私は“マネー”を「物理的空間」に存在する紙幣や硬貨ではなく「仮想空間」に存在する概念とその概念に基づくしくみとしてみなしています。
では、紙幣や硬貨はマネーではないのかといえば、それらは立派なマネーです。ただ、そのようなマネーを中心にみてしまうとマネーの正体が分かりにくくなってしまうのです。なぜなら、そのような形は本質を示していないからです。そのようなマネーは「仮想空間」に存在するマネーの概念が単に具象化されたものと理解したほうがよさそうです。
以上をくどくどと述べたのは、私がオプションを“マネー”と同等に扱っているからです。今日では、“マネー”も“オプション”と同じく“デリバティブズ”であり、概念及びそれに基づくしくみなのです。さらに、重要なことに、「仮想空間」が今日ではより支配的になっているのです。